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2011年06月01日

沖縄でニッポン復興を

沖縄でニッポン復興させる会を立ち上げ、
福島の被爆者避難地へ向かった
双葉町は埼玉県加須、大熊町は会津若松
富岡町、川内村は郡山パレットに避難している。
大震災当時よりは、だいぶ避難者は減っているが、
お金がなく自宅に帰れない人たちは、体育館や
コンベンションの中での段ボール生活である。
ただし、原発所在地である町の70%以上の人は
何らかの原発関連の会社などに勤めており、
専業農家は非常に少なかった。
年寄りこそ、避難地にいたが、若い人たちは昼働きに出ていて
夜帰って来るという生活が続いている。
それにして、福島の被災は人災以外の何物でもない。
原発20km以外の農家のほとんどは、高い放射能によって
農産物の摂取も販売も禁止されている。
その原発による電力供給は、すべて東京に流れる。
福島の人たちは、東北電力からの供給だ。
日本人は、秩序だっていておとなしいと言われて喜んでいる場合じゃない。
原発は、今すぐ廃止の方向にするべきである。
沖縄でニッポン復興を
整然と並んだ段ボールパイプの避難地


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Posted by 田崎聡の沖縄現象論 at 15:01│Comments(0)沖縄経済
 
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